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ドラゴンボートとは


ABOUT

南大隅町ねじめドラゴンボートフェスティバルとは

「南大隅町ねじめドラゴンボートフェスティバル」は1チーム10名編成で8名が漕ぎ手、残り2名
が舵取りと太鼓という編成で行う競技で、「一般の部」「レディースの部」の2 つの部門に分か
れます。コースは旧根占町の塩入橋から根占大橋まで間の約380メートルになり、8コースに分か
れ着順を競います。 参加チームは鹿児島県内だけではなく海外や関東、関西からの強豪を迎
え、白熱したレースが行われます。また、前夜祭、青空市も開催され、イベントや町内の特産品な
どの販売を行っております。

開催時期

毎年10月中旬〜下旬

ドラゴンボートの歴史

古代中国の春秋戦国時代、楚の国の政治家・屈原(くつげん)は、国の将来を悲観して汨羅(べ
きら)の淵に身投げをしました。これを知った近くの漁民たちは、屈原の身を案じ、淵に潜む竜
や魚に襲われないようにドラや太鼓を打ち鳴らして探し回りました。以来、屈原が入水した旧暦5
月5日の端午節にその霊を祭る小舟レースが各地で行われるようになりました。ドラゴンボート
(龍舟)は古代中国で生まれた世界最古の手漕ぎ舟の競漕といわれています。

南大隅とドラゴンボート

旧根占町の入り口には樹齢千年を越す大楠が長い歴史を物語るように繁っています。今から450
年程前、後奈良天皇の時代、戦乱による財政立て直しのため「雄川」の加工に港を造り、中国や
琉球との貿易をはじめ、唐人町ができるほど賑わっていたそうです。
 当時、この「大楠」は、船の出入りの目印として、又これに南蛮船の艫綱(ともづな)を結び、
武器屋貴重な品々を荷揚げしたと伝えられております。ところが、貿易が盛んになるにつれ唐人
と南蛮人との間で争いが起こるようになりました。祢寝氏は争いを収めるため、住民と「南蛮船
競争」をさせ、親睦を図らせたとの記録が残っております。

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